「百万絵巻」の隠れた真実!
これは「百万絵巻」の冒頭のひとコマです。
ここでは3人のお坊さんと稚児を手にした男、その場面を見守るかのように烏帽子をかぶった男が描かれています。
ことわっておきますが、能「百万」ではこのように、複数の男が交わる場面はありません。
能では子方の稚児とワキが登場する場面から始まり、この絵の前には、能本の一番初めの部分、ワキの詞章が書かれています。
そのワキの詞章をかいつまんでいうと、
『私は奈良に住む者です。昨年、この少年を西大寺で拾いました。今は春の盛り、この少年を連れて嵯峨の大念仏に行こうと思います。』
そしてこのひとコマの絵です。
これを何と解釈すればよいのでしょうか。
「百万絵巻」の図録解説には、この3人のお坊さんと稚児を連れた男、烏帽子をかぶった男の場面の状況説明がありません。
学者的立場からこの場面の根拠となる確かな資料がないため、あえて説明をさけていると思われます。
しからば、私の独断と偏見で、大胆な解説をしたいと思います。これはあくまでも私の個人的見解ということでご了承ください。(笑)
<「百万絵巻」の冒頭ひとコマ、独断的解釈>
結論から言います。
「和尚さま、いい子が手に入りましたぜ。ほれ、どうですか。」
男はお坊さんに稚児を売ろうとしている、人身売買の場面なのです。その場面を監査しているのが烏帽子をかぶった男です。
もう一度絵を見てください。それぞれの視線からなるほど、とうなずけると思います!
この「百万絵巻」の詞章から、ワキは”奈良に住む男”なのですが、この「百万絵巻」の展開ではこのあと稚児に寄り添って描かれているのはお坊さんなのです。
ワキが“男”ではなく“お坊さん”だとすると、詞章の説明からは矛盾してます。
じつは能本では、ワキを“男”とするものと、“僧”とするものと2種類伝承されています。
「百万絵巻」を描いた絵師もこのことは当然知っていたはずでが、ここがポイントなのですが、この絵師はワキを2人に設定したのではないかと思うのです。
「ワキを2人に設定した」、
つまり、
”男”のワキは奈良で少年を拾い、京まで連れてゆき、京の“僧“ワキは少年を買い取りとり稚児として嵯峨の大念仏に連れて行った、という解釈が考えられます。
ここで言う稚児とは、お坊さんが修行僧として受け入れ、性的関係を結んだ少年のことをいいます。
この当時、親が生活苦から子どもを売る、逆に親を助けるため子どもが自ら体を売る、または人が子どもを誘拐して売るという、少年・少女の人身売買は日常的に行われていたようです。
能にもこのことを題材としている作品がいくつかあります。(自然居士、桜川、隅田川、、、)
少女であれば娼婦に、少年であれば肉体労働者として売られ、少年の中でもとりわけ美しい美少年は稚児としてお坊さんに売られたようです。この稚児が人身売買の中で一番の高値がついたとされています。
「百万絵巻」を描いた絵師は、能「百万」では書かれていない【人身売買】、【僧と稚児】という、当時では常識だったことを補足し、あえて描きたかったのではないかと思うのです。
それゆえに、この場面の絵からは、
「和尚さま、いい子が手に入りましたぜ。ほれ、どうですか。」
と思いたくなるのです。
いかがでしょうか!