京急逗子線「六浦駅」
金沢八景から逗子線に乗り換え一つ目の駅が「六浦」。
所在地が横浜市金沢区六浦町。
能「六浦」の六浦とは金沢八景あたりの地名だったのですね。
能では「六浦」と書いて、『むつら』と呼んでいるのですが、現在地名として残っている「六浦」は『むつうら』と呼ばれています。
この地は、古くは六浦荘と呼ばれた荘園で、今の金沢文庫駅辺りまで湾が入りくんで商業、交通の要としての港町だったようです。
「六浦」の謡本では、都から東国見物の旅僧が六浦の港から安房まで船に乗るとき、こんなことを言っています。
『これははや、六浦の里に着きて候。この渡りをして、安房の清澄へ参ろうずるにて候。』
(やっと六浦の里に着いた。この渡り場を渡って、これから安房の清澄(千葉県鴨川市)まで参りましょう)
また能「鵜飼(うかい)」では、安房の清澄から石和(山梨県)まで旅する僧が、
『安房の清澄立ち出でて、六浦のわたり、鎌倉山』と言っています。
清澄を出発して、船で六浦まで渡り、鎌倉山に着いた、ということなのですね。
六浦は当時では重要な港町だったことが分かります。
この六浦荘に、北条実時が持仏堂(阿弥陀堂)を建てた(1262年)のが称名寺の起源とされているようです。
そしてこの称名寺で、藤原為相(ためすけ)[1263~1328]が一本の楓を見て、
『いかにして この一本に しぐれけん 山に先だつ 庭のもみじ葉』
と歌を詠んだのですね。
そして「六浦」という能が誕生したというわけです。
・称名寺
街道に面した正門(通称・赤門)
赤門をくぐってしばらく歩くと仁王門があります。
鎌倉時代の彫刻・金剛力士像が睨みをきかせていました。
この仁王門をくぐると広大な境内が目の前に広がります。
仁王門から正面奥の金色堂までは阿字が池で隔てられ、そり橋と平橋が真っすぐに金色堂まで伸びています。
金色堂
金色堂に向かって左手前に、能「六浦」の『青葉の楓』があります。