2月6日
京都造形大学にある春秋座で、能と狂言の公演がありました。
当大学の教授、渡邊守章氏が企画されている公演です。
番組
プレトーク 松岡心平 渡邊守章
狂言 「舟渡婿」 野村万作
能 「邯鄲」 観世銕之丞
前日の夜、京都に入り、午後7時から申合せ。
そのあと、渡邊守章ご夫妻とお食事を。 同席者は大倉源次郎さん、銕仙会の笠井賢一さん、それに私です。
三条・木屋町にある、”おばんさい”を食べさせてくれる割烹のお店でした。
当日の「邯鄲」について
会場となる春秋座は歌舞伎使用の舞台ですので、花道が客席の奥からまっすぐに舞台に続いています。
能の公演ではこの花道を橋掛りとして使用します。
この花道はかなり長いです。
能楽堂のように、途中に柱もなければ松もないので、位置を確認することが不可能です。
しかもまっすぐ歩くのも困難と思うのですが、銕之丞師はそんな不安をまったく感じさせずに演技されていました。プロの技ですね。
能「邯鄲」のあらすじは、
中国の盧生(ろせい)という青年が、人生に悩みを持ち、高僧に相談するため旅に出かけます。
途中、邯鄲という里で宿をとり、そこで不思議な枕と出会います。
この枕でまどろむと、自分の夢が叶えられるというのです。
果たして盧生は、豪華な宮殿の一国の王となり、美しい女性に囲まれる夢を見ます。
やがてまどろみから目覚め、自分の野望がいかに空しい事であったかと悟るのです。
能では「引き立て大宮」という作り物が、田舎の邯鄲の宿と、王になった宮殿との二つを兼ねています。
これはかなり強引な想像力が必要とされるのですが(笑)、
この日の演出では一畳台を二つ並べた大きさの台を出すだけで、屋根は付けられませんでした。
これは観世寿夫師が発案された方法で、今でも時々行われる演出ですが、
この日は台を置く角度を、客席に対して真っすぐではなく、少し右に振って置かれていました。
約2メートル四方の台の上で舞を舞うのですが、屋根が無いので柱が無く、角度を右にしているので、台の正面の目安(舞う時の正面)となる景色が特定できません。
しかもホールでの公演ですから、能舞台の柱もありません。
面から見える世界は、目の高さの周りの景色だけです。
僕ら役者側からすると、想像するだけで恐いことなのですが、銕之丞師は自ら志願して挑戦されたようです。
結果はこの台から落ちることもなく、正面を間違うこともなく、無難に舞われておられました。
さすがですね!
私だったら、恐ろしくて絶対にこんなことはしません!(^o^)
「もうひとつの工夫」
この日の演出で、あと一つ特別なことがありました。
盧生の青年が、悩みを背負って旅立つ姿、王になった姿、夢が覚めてもとの自分に戻る姿、
この三つの姿を工夫されていました。
普通ですと、盧生は肩から掛けている「掛絡(から)=お坊さんが身につけているもの」をとれば王に変身となり、夢から覚めてもそのままで終わります。
この日は、王になると「掛絡」をとり、手早く狩衣をきて、頭には王冠をあらわす冠を付けました。
夢から覚めると、狩衣と冠をとりもとの姿に戻ります。
お客様には変身の様子がよく分かりますね。
後見は忙しくて、大変な仕事となりますが・・・
身に着けていた「掛絡」は、宿の女主人が、
「お客さん、お忘れ物ですよ」
といって、盧生に手渡し、舞台が終わります。
今までにない、粋な演出でした。
あと、宿の場面と夢の場面、それぞれに照明の変化があったようです。
私は地謡を謡っていたので、なんとなく変化を感じただけでしたが、客席からはかなりはっきりと違いがわかったのではないでしょうか。
地頭は片山九郎右衛門(清司改め)師。私はその隣で、私以外全員が京都の能楽師でした。
これも初めての経験でした。
余談ですが、春秋座の舞台監督の小坂部さんとは顔なじみで、
『能「邯鄲」で検索したら、一発目に柴田さんの記事が出てきたよ』
と言葉をかけられました。
私が「邯鄲」初演の時、かなり詳しくレポートしました。
私のブログも少しは世に役立っているのでしょうか。(^。^)
この記事も“能「邯鄲」”のカテゴリーに加えておくことにします。(笑)